バイオマス発電所の建築現場で現場監督をしています。
現場監督としては上司と自分、それに昨年入社した新人との3人で、幾つもの協力業者さんと連携を取りながら業務を進めています。
ただ、来月からは上司も後輩も新しい現場へ異動するので、自分がひとりで監督していくことになります。今からワクワクしています。
現場には数多くの協力業者さんが関係し合って仕事をしています。それぞれの業者さんとのやり取りが曖昧になってはいけないので、必ずメモを取り工程表に反映させています。
効率よく作業してもらえるように工事全体を俯瞰してみることができ、なおかつ人員配置や材料を効率的に手配できるような工程表を作るように心がけています。
今の現場がバイオマス発電所なんですが、建築業務よりもプラント、つまり機械関係の業務がメインになるんですよ。現場で働いている人数もこちらは50名位なのに対して機械関係は300名以上が携わっています。そのため、機械関係の工程に合わせて動いていかないといけない場面が何度もありました。
機械関係も含めてすべて自社主導で仕切れる現場であれば、こちらの工程表通りに動いてもらうところですが、必ずしもそのような現場ばかりではないので、仕方ないとは思います。それでもやはり、こちらの事情以外で工程変更するのは協力業者さんにも申し訳ないし、かといってどうすることもできないし、というジレンマがあります。
あと、大分前の話ですが、基礎の位置を10cm間違えたことがあり、壊して作り直ししたことがあります。小さな箇所だったので、その日の内に終わらせることができ、損失もそれほどありませんでしたが、自分が確認を怠っていなければそのようなことにはならなかったのに、と悔しい思いをしました。その失敗経験が、今の自分の慎重な仕事スタイルの原点になっていると思います。
ある複合施設の建設現場監督をしたことがあり、施設内にはショールームや会議室などいろいろな箇所があるんですが、その中に中華料理店も入っていて、引渡後少し日が経ってから食事をしに行ったことがあります。壁も柱も天井も、すべてが懐かしく感じたのですが、何よりもお客さんが入ってちゃんと飲食店として機能しているところが見られて、そこで食事もできたことが嬉しかったですね。あらためて達成感を感じました。
今に至るまでのそれぞれの時期で共通して言えることは周りの環境のおかげだ、ということですね。
家族のおかげもあれば、今の上司や会社の皆さん、現場の職人さん、仕事をさせてくれているクライアントさんや会社自体。
そして、保育園から専門学校までずっと一緒だった友だちがいて、ずっと同じ目標に向かってきました。彼の実家が小さな建設会社で、学生時代には勉強がてら仕事を手伝わせてもらったこともあります。彼は専門学校卒業後、別の会社へ就職したのですが、今はアメリカで現場監督をしています。今でも連絡を取り合っていて、それがとても刺激になっています。仕事に関係した話をしていても、仕事以外の共通の趣味について語り合っているような不思議な感覚です。
会社や現場の規模が大きすぎると、現場監督だけで何人もいて、工程管理専門の人、現場を見る人、安全管理の人、のように役割が分かれてしまっているそうなんです。でも神野建設ではすべてに関わることができます。
また、現場作業も知っているので、工程を組むときにそれぞれのボリューム感というか、どの位の人数で何日くらい必要か、といったことが机上論ではなく分かります。
あとは、入社して5年間で、働き方や会社の体制が変わっているのを実感しています。仕事量が減ったのではなく、効率が良くなったことで仕事をする時間が短くなっています。退社時刻についても、誰かが残っているから帰りづらい、という無駄な雰囲気はないですね。実際に、休日出勤もほとんど無いし、残業も少なくなっています。平均的に仕事ができるようになっているというか、人が育ってきている、ということかも知れません。
地元密着の企業なので、地元にいればどこへ行っても神野建設が造った建物が見られます。マンションや発電所、工場、保育園、鉄骨造の住宅など、種類も多くの建物に携われます。
建築だけでなく、土木についても三河地区では希少な港湾土木もありますし、自社でクレーンが着いた船なども所有していますので幅広い業務ができるのは素晴らしいことだと思います。